​「異変」数の消失。はじまりはここから【#1】〜顔が覚えられない、数字が消える私の日常〜

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顔が覚えられない「相貌失認」とは

「相貌失認(そうぼうしつにん)」という病気をご存じでしょうか。

人の顔を覚えたり認識しづらくなる病気で、例えば動物園でたくさんのペンギンを見分けるのが難しいように、人の顔でそういった現象が起こる病です。

ここ数年、人の顔の判別が困難だったり、家族の顔でさえ目を閉じると思い出せないことがあり、ネットなどで調べてみると自分でも思い当たる節が多く、この病気を患っていると確信するようになりました。

私には小学生の子どもたちがいます。

我が家は妻が専門職だったので、出産後は私が家で育児を担当、そのために10年ほどは社会に出ることもなく、妻の扶養に入り生活を送っていたので、相貌失認といえどもさほど不自由なく暮らしていたわけです。

さて、子どもたちも全員が小学生にあがるのをきっかけに、扶養で引きこもった私の生活も終わりを告げます。

ついに外で働くこととなったのです。

50歳間近ですが、接客業でアルバイトとして職が見つかり、その半年後には運良く社員へと上がることができました。

これが私の運命の分かれ道になるとは思ってもいませんでした。

社員ともなるとアルバイトと違い、仕事も高度になり、お金の管理も任されるようになりますし、上からの指示も当然増えてくるわけです。

「異変」

社員として2ヶ月間ほど働き始めたころ、私に「異変」が起こり始めます。

「仕事が覚えられない」「お金を数えるのが苦手」「棚の商品を数えてたら画像が揺れてわからなくなる」「出された指示の意味が理解できない」「自主的な仕事ができない」、、、、、そしてついにこう考えます。

「辞めよう。」

考えたら決断は早かったです。

翌日には上司に退職を伝えに行きました。

そのときはちょうど年末シーズン。

決意は固かったのですが、意外にもソリが合わないと思っていた上司が対応についてのまずさを反省され、予想外に退職を止められたのです。

結果としてここで退職をすんなりと受け入れられていたら、、、、病気は発覚しなかったことでしょう。

退職の話の時には覚えが悪いとか要領が悪いとかも伝えていたので、その後も続けていくことになるのですが、正直、デキの悪い社員みたいな立場でそれなりに働いていくこととなります。

押しよせる運命の波

当然、家に帰ってのグチや悩みも妻に話す頻度が増えるわけで、妻から「病院に行ってみたら?」と提案を受けることとなります。

私の運命がまた一つ動く瞬間です。

正直、人の顔が覚えられないくらいで病院に行くのもなぁという気持ちも強かったし、何よりも面倒くさい。

だいたい風邪とかと違ってポピュラーな病気でもないし、何科に行けば良いのかって話である。

そんな私に3つめの波がやってきます。

3rd WAVE(3番目の波)

あるとき仕事帰りに外食をしようと考えました。

私は職場から、妻と子どもたちは自宅から車で向かって現地合流です。

待ち合わせは10年以上通りがかっている家から15分ほどの場所、特に町並みも変わっていない場所です。

職場からの車移動なのでルートを考えないといけません。

地図アプリを確認しながら道路を想像してたどって、、、、、

「思い出せない。」

途中にラーメン屋さん、車の専門店といったお店があることは思い出します。

しかし、その位置関係がどうなっていて、うどん屋さんがそこよりも手前なのか向こう側なのかもあやふや。

そして決定打の現象が起こります。

想像が消えていく「アファンタジア」

道路を思い出しながらたどろうとしても、いつも走っている道路が白いモヤに包まれてしまい思い出せない、、、いや、想像ができないのです。

想像の中ではモヤに包まれる道路
私の頭の中ではこんな感じにモヤに包まれてしまう

思い出そうとすればするほど脳が絞られるような気持ち悪さも感じます。

想像ができない「アファンタジア」という病気があることを調べて知りました。

アファンタジアとは?

頭の中に映像を浮かべることができない病気。

誰もが知っているリンゴ、赤くて丸くてツヤがあってという絵が浮かばないならこの病気かもと言われていたりします。

「計算がうまくできない」「数が上手に数えられない」「仕事がうまくできない」「想像が描けない」、、、。

今まで普通、もしくは弱点だと思ってきたことが「異変」と感じた瞬間です。

決意

何かがおかしい。

「自分の頭の中で何が起こっているんだろう?」

その答え合わせを行うために病院へ行くことを考え始めるのでした。

カカシ君うどん屋に行くの4コマ漫画
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この記事を書いた人

50歳で初めて抱いた自分への「異変」。意を決して診断を受け、フタをあけたらASDとADHDという答えが待っていました。50年間の生きづらさの正体を知り、肩の荷が下りた今、ようやく始まった本当の自分の物語。一人で悩む方に寄り添い、共に解決策を探すブログ「フタをあけたらADHD」を運営しています。

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