「辛抱」死への憧れ【#5】繰り返す希死念慮とは?

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前回「地獄」からのつづき。

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理解

精神科への紹介状が出てからの1ヶ月、仕事、家庭、自分の気持ちの整理と、毎日、悶々として過ごす時間が増えました。

病院に行くまでは結果がわからないことは当然ですが、そこでハッキリとした診断名がついたところで、私自身の中身が変わるわけではないのです。

スッキリしない原因は職場にもありました。

職場の反応

職場でほぼ間違いないと話したものの、理解には乏しい感じでした。

病気、障害については表面的に理解は示してくれたものの、では、そこからどうするかは本人任せ、みたいな感じです。

「とりあえずできることやって」という投げやりな対応でした。

希死念慮

「希死念慮(きしねんりょ)」という言葉があります。

死に対する憧れ、死について考えたり、想像したりする精神的な症状の一つです。

この頃、「別に明日死んでしまっても後悔しない」「生きるのが面倒くさい」とヒマがあれば考えるようになっていました。

元々、子どもの頃から死生観の強い生き方をしてきたこともあり、よりその思考が強くなった感じです。

ネガティブな言葉のシャワー

発達障害を抱えていて、仕事や人間関係でトラブルを経験してきた中で、同じように考えてしまう方は多いのではないでしょうか。

という有名な説があります。

子どもの時からそういう環境で育つわけですから、思考が偏ることはある意味で「正常」そして「自己防衛策」なのかもしれません。

人生でいちばん辛い1ヶ月

モヤモヤしたり死への願望が高まったり、生きてきていちばん辛い1ヶ月だったかもしれません。

まぁ、それでも自分が何者かもわからないままに生きてるよりはマシかもしれません。

あと少しの辛抱。

そんな困難を乗り越えて、ついに精神科での診察日になるのでした。

かかしくん4コマ漫画#005
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この記事を書いた人

50歳で初めて抱いた自分への「異変」。意を決して診断を受け、フタをあけたらASDとADHDという答えが待っていました。50年間の生きづらさの正体を知り、肩の荷が下りた今、ようやく始まった本当の自分の物語。一人で悩む方に寄り添い、共に解決策を探すブログ「フタをあけたらADHD」を運営しています。

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